灰になって積もる

吹いて飛ぶよう軽やかに、けれども何か残りますよう

読んでる・読んだ 川野芽生『かわいいピンクの竜になる』

まだ読み途中なのだけれど、とても服が着たくなっている。*1
私のための服が着たい。私が私になるための服が着たいという感覚。

川野芽生さんは短歌*2で存じていて、まだ読んでいないけれど本屋で見かけて小説もお書きになるのか*3と思っていたら、エッセイを書いてらした。おすすめか何かに出てきたので、作者を気にせずに内容が気になって、読みたいなと思って調べたら存じている方だった。

本や文章に関してはここ数年で自分のアンテナの精度が高まってきており、気になった本が肌に合うことが多いのだけれど、この本もそうだった。最近読む本、私と気が合う。*4
sayusha.com
「装いと解放」を綴ると書いてあって、ああ、これは私のことが書いてあると確信した。



私はロリータ服を着ないが、着物を着る。おそらく自分のために、私が私を取り戻すためにそうしている。
私は仕事に行く服と一般にまぎれるための服と、本来の自分のために着る服がある。「装いと解放」というテーマで書かれているのなら、おそらくそういうことが書いてあると思って気になって買ったのだが、実際に書いてあった。自分を着飾るというのとも少し違う、本来の自分を取り戻すための服があるという感覚。そして筆者の語る、性が分かれる前の「無性」でいたいという感覚。わかるな……。*5

この本を読んで私も自分の本来の姿に戻りたいと思って、着物を着た。
ただ、いつも着物を着るのは観劇のときや美術館・博物館に行くときで、着物は何か目的があって行く時の装いだったし、着物が着たいときは何か予定を作っていた。もともと人混みが苦手で一人で歩くと精神的にかなり疲れてしまうタイプだから、着物を着てその辺を歩きたいという理由だけで人ごみの多いGWを歩くのはかなりハードルが高い。友人に「着物着て歩きたいだけなんだが、付き合ってくれないか」と連絡したら、色々運が重なって無事行けることになった。
4時間程度の散歩だったけれど、何を着ようかワクワクしながら選ぶ時間も、いつもより丁寧にアイシャドウやリップを塗る時間も、もちろん友人と話しながら歩いている時間も楽しかった。

ただ、やはりというべきか、都心の方に出たにもかかわらず電車内でも街の中でもその日は着物を着ている人を見なかった。着物を着る人が増えていると言っても、地域と環境によるのだ。*6

着たいものを着て過ごすのは楽しいし本来の自分だと思うけれど、それと同時に着たい衣服の種類によっては自分がマイノリティに属することを自覚してしまう。それはマジョリティではないとか、マイノリティになりたくてなっているわけではなく、好きなものを選んだらマイノリティだったというだけなのだが、やはり心理的不安は付きまとう*7。だから、私にとって着物を着ることは「解放」なのだろうが。誰が何を着ていても気にしない社会であればいいのにと思うけれど、私も様々な意味での外見が気になってしまう。ままならない。

でも、自分が自分になるためのファッションという感覚を共有できてよかった。
その中にはジェンダーや性的搾取の問題もあるけれど、そういうものから離れた服を着て、それが自分であると主張していいのだと思えた。


着物を着たその日、帰宅してメイクを落とす前に久々に顔面に色々塗って遊んだのだが、リップコンシーラーが欲しいかもしれない。

*1:書いている途中で読み終わってしまった

*2:歌集『Lilith

*3:『奇病庭園』

*4:榊原紘さんの『推し短歌入門』も、ものすごく読むのが楽しかった。

*5:別の記事で書いた方がいいと思うので詳しく書かないけれど、めちゃめちゃざっくり言うと、私が二次創作を書く上で夢主の性別を決めたくないという話である。

*6:レンタル着物ショップがある場所だと多いだろう。浅草とか鎌倉とか、京都とか。

*7:でも、もしもを考えた時に着物をみんなが当たり前に着ていた過去の日本のような現代社会だったら、私は着物を着たいと思っただろうかとも考える。おそらく思わないと思う。モガに憧れていただろうな。